医療が科学として進み、われわれ歯科医が患者に行う治療は医療と言う中でいろいろと専門化した技術を駆使せねばならなくなった。
インプラント療法は1980年までは患者の求める咀嚼という機能回復の改善のみに目が向けられていた。劇的なオスセオインテグレーションインプラントの出現により、より機能的なインプラント療法が施せるようになって、骨造成術が発達し適応症の拡大を成し得、前歯部における審美歯科治療が追求できるようになり、その上予知性も長期安定を望めるメインテナンスが行えるようになった。2000年になると今や即時加重から抜歯即時埋入などの治療時間短縮の技術を投入し、いろいろな患者の要求が満たされるようになってきた。
しかし、われわれ歯科医はStray Sheep として迷い込んだインプラント希望患者を1人の医療人として対面、観察するにあたり、科学を駆使した技術屋である前に、痛み、苦悩、悩みに苦悶する患者にたいし共感を持って対応できるより良き理解者であらねばならない。歯科医があまりにも専門化した技術に熱中しすぎると歯牙欠損部位、口腔のみを見て患者の心の内を無視し、持っている技術を全て使おうとする危険、技術を過信する危険に陥り、患者とのコニュニケーションに欠けた危険な医療に落ち込んでしまうようになる。
臨床医は患者の臨床像をみるにつれ、ただ診療台に寝た患者の姿ではなく、それは家庭、仕事、親戚、友人、喜び、悲しみ、希望、そして恐怖にとりかこまれた患者の印象派的な画であることを信念に診療にあたらねば、患者個人の心の奥は見えてこないし、患者が納得し患者を囲む全ての人が満足した診療はできない。患者の個性、生活習慣、時間的制約、経済的な問題、全身的疾患などを含め十分な患者を取り巻く環境まで把握して治療に取り組むべきである。
今回、小生がこれまで経験した臨床例の中から患者の心を十分に見据えて治療をおこなえ、お互いに満足した症例、身体表現性障害と思われるほど苦労した症例などを紹介して、患者の見えるインプラント療法を皆様とともに考えてみたい。
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